推し活の正体は、愛を金に変える集金システムです
去年、推し活にいくら使ったか思い出せますか。市場規模は約4.1兆円に膨らみました。なのに一人あたりの支出は減っています。増えたのは金額じゃありません。使う人間の数でしかないんです。愛着の深さを読み取って値段を付ける側と、それでも払わざるを得ない側。愛は、薄く広く集金されています。
1. 市場は4.1兆円。でも増えたのは金額じゃない、払う人間の数です
給料は増えないのに、推しのグッズ代もチケット代も削れない。マジで削れません。その推し活とは、好きなアイドルやキャラクターなどを応援し、商品や催しにお金と時間を使う活動のことです。ちなみに、その元になったともいえる「おたく」という呼び名は、二人称の「お宅」が転じたもので、1980年代に広まりました。
CDGとOshicocoが運営する推し活総研の「第3回 推し活実態アンケート調査」(2026年1月実施、15〜69歳の男女23,125人)によると、推し活をしていると答えた人は全体の24.0%。前回2025年1月調査から7.3ポイント増えました。人口に直すと約1,940万人。市場規模は前年の約3.5兆円から約4.1兆円に広がった推計です。
でも一人あたりは逆です。年間出費の平均は209,716円で、前年の255,035円から下がりました。真ん中の人の値(中央値)は約4万円。伸びの正体は、一人ひとりが奮発したことじゃありません。参加する人の裾野が広がったことです。
日本生産性本部の「レジャー白書2026」(2026年10月発表)でも、2025年に推し活を行った人は23.6%。10代では47.7%、20代では45.0%に達しました。同白書は、物価高や円安で余暇の値段が上がっていることも指摘しています。節約しろと言われる時代に、推し活だけは削られません。
2. 売ってるのはグッズじゃありません。「推しとの関係」です
4.1兆円の行き先は決まっています。権利者や事務所、レーベル、グッズを作って売る会社、チケットや配信の会社です。ちなみに「グッズ」は英語の goods から来た言葉で、「品物・商品」全般を指します。
売られている中心は、物そのものじゃないんです。推しとの関係の感覚です。数量限定、中身が選べないランダム形式、複数買うと付く特典、会員だけが申し込める先行抽選。どれも物の役に立ち具合(使用価値)ではなく、関係の近さと希少さに値段を付けています。
ITmediaの報道によれば、決済大手のVisaは2026年9月、大手音楽会社と基本の約束を結び、カード会員だけの優先入場や先行購入などの特典を打ち出しました。決済会社まで、ファンの愛着を自分たちの利用につなげに来ました。エグい話です。愛着をめぐって、企業同士が奪い合っています。そして元のお金は、ぜんぶファンの財布です。
なぜ支出は止まらないのか。浪費癖じゃありません。博報堂などの2023年の調査では、推し活をする人は自由に使える所得(可処分所得)の37.4%を推しに充てていたとされます(ITmediaが引用して伝えたもの)。賃金が物価に追いつかない時代に支出が続くのは、受け皿の仕組みがうまく作られているからです。
問うべきはファンの財布の緩さじゃありません。売る側は『応援の形の多様化』『ファンのため』と言います。でも増えたのは集金の入口です。根本の問題は仕組みの側。愛は無料。集金は有料です。
3. その仕掛け、マルクスは名前を付けてます。「物神性」です
マルクスは『資本論』第1巻第1章で、この仕掛けに名前を付けています。「商品の物神的性格(物神性)」。人と人の社会的な関係が、物と物の関係の姿で現れる性質のことです。
マルクスはズバリ言っています。商品は不思議なものだ、と(『資本論』第1巻第1章第4節)。不思議に見えるのは、素材や役に立ち具合のせいじゃありません。人々の働きの社会的な性格(みんなで関わり合って働くこと)が、物の側にもともと備わった性質のように映るからです。そしてマルクスは、その性質に「物神性」という名を付けました。働いて作ったものが商品として作られたとたん、物神性がくっつく、という意味です。
小さなアクリル製の置物を思い浮かべてください。数千円の値段は、素材でも作る手間でも説明がつきません。乗っているのは推しとのつながりです。その関係は本来、表現する側と受け取る側、企画・運営・製造に関わる多くの人の働きで作られています。なのに物自体の力に見える。これが物神性の本質です。
マルクスは、欲求が胃袋から生じようと想像から生じようと、区別しないと言っています(同第1節)。愛着も感動も正当な欲求です。叩くべきは気持ちじゃありません。その気持ちが、商品の形を取ってしか満たせない仕組みの側にあります。
4. ファンの宣伝はタダ。儲かるのは売る側だけです
矛盾は二つあります。
一つ目。市場の大きさと、参加者の財布の軽さです。4.1兆円は豊かさの証明じゃありません。薄く広い支出の積み重ねです。
二つ目。宣伝をファン自身がやらされています。レジャー白書2026によれば、10代が新しい余暇を始めたきっかけは「SNS・口コミ」が38.2%で最多でした。余暇全体の数字ですが、推し活の広がり方も、この口コミ抜きには語れません。
ファンの発信が新しいファンを連れてきます。その発信は、売る側にとっては立派な宣伝です。なのに、もらえるお金はゼロ。ガチでゼロです。宣伝の効果は売る側の販売促進に使われるのに、対価はファンに1円も払われません。応援する行為そのものが、売るための仕組みに組み込まれているんです。
企業が推し活を協賛や福利厚生に取り込む動きも広がります。市場が大きくなるほど、ランダム販売の透明性や、未成年を含む消費者保護が問題になるはずです。でも愛着の強さにつけ込む仕組みを、事業者は自前のルールと『注意喚起』で済ませます。いつもの幕引きです。
5. 推し活は浪費じゃありません。集金の設計の問題です
推し活を「若者の浪費」と笑う見方は、仕組みがマジで見えていません。賃金が伸び悩む時代、私たちは人とのつながりへの支出を削れなくなりました。そこへ細かく計算された集金の仕組みが置かれています。
グッズの値段は「物の値段」と「関係の値段」に割って見てください。何にいくら払っているかが見えれば、限定やランダムの狙いも読めます。応援の形を決めるのは、本来ファンの側であるはずです。
次に財布を開くとき、考えてみてください。その値段、誰が決めたんですか。あなたは決められるだけの「客」ですか。それとも、応援の形を取り戻す側の一人ですか。
労働者の意見

正直、毎日しんどい。私の給料は上がらない。物価だけが上がる。それでも推しに使うお金は削れない。だって人間、好きなものがなきゃ生きていけないじゃん。調査じゃ、推し活する人は使えるお金の37.4%を推しに回してるって言うじゃん。浪費? 違うよ。薄い給料の中で優先順位を付けて、必死に回しているだけ。これは浪費の話じゃない。私が汗をかいて得たお金の、行き先の話だよ。
……でも、恥ずかしいけど言うね。ランダムで推しが出なかったとき、『あと1回だけ』って、財布が軽いのについ回しちゃうことがある。自分で決めて払っているはずなのに、止まれないの。それに、ファン同士でも全然違うよね。たくさん使える人もいれば、年間の真ん中の値の約4万円を必死に捻出している、私みたいな人もいる。4.1兆円の市場と言うけど、その土台は約1,940万人の働く私たちの財布じゃん。一番腹が立つのは、その必死さが全部計算ずくだってこと。悔しくてたまらない。『応援の形は自由だ』なんて、売る側のきれいごとだよ。限定、ランダム、先行抽選。推しは尊い。だからって、愛情の深さを測って値段を付けないでよ。エグいよ、マジで。
ねえ主、一つだけ聞いていい? 私の『好き』って気持ちまで、売る側に作られたものなの? それは違うよね。好きは私のものだよ。応援の形は私が決める。売る側の設計に、愛を測らせるもんか。
主の意見

はっきり言います。推し活の本質は「若者の浪費」なんかじゃありません。愛着という感情を、商品の形でしか満たせないように仕組みを作り、薄く広く集金するやり方。それが4.1兆円の正体です。ファンを笑う道徳論は、集金の設計から目をそらさせるためのブルジョア道徳(金持ち・経営者側の都合のいい道徳)そのものです。
作られているのは気持ちじゃありません。気持ちの満たし方の出口です。マルクスも、欲求が胃袋から生じようと想像から生じようと区別しない、と言っています。好きも幸せも本物です。問題は、その本物の気持ちを満たす道が、限定やランダムや先行抽選という、値段の付いた商品の形でしか用意されていないこと。『あと1回だけ』と止まれなくなるのも、意思の弱さじゃありません。止まりにくく作られた入口、その設計の側に責任があります。責めるべきは財布を開く側じゃありません。関係の近さに値段を付けて売る側です。
アクリル製の置物の値段に乗っているのは、推しとのつながりです。そのつながりが物自体の力に見えるのが、マルクスの言う物神性です。関係は私たちのものなのに、物の値段として払わされ続けている。ここが根本です。ファンの発信も同じ構造の中にあります。余暇全体を対象にした調査でも、10代が新しい余暇を始めるきっかけは「SNS・口コミ」が38.2%で最多でした。ファンの発信は新しいファンを連れてくる宣伝に使われても、対価は1円も払われません。
数字も分けて見てください。市場規模が前年の約3.5兆円から約4.1兆円へ広がったのは、推計の事実です。でも一人あたりの平均支出は209,716円に下がり、真ん中の人の値は約4万円。増えたのは金額じゃなく、払う人間の数、約1,940万人です。「市場が豊かになった」という解釈は成り立ちません。薄く広く集める設計が、裾野を広げただけです。
要求ははっきりしています。応援の形を決める権利を、売る側からファンの側に取り戻すこと。ランダム販売の透明性や、未成年を含む消費者保護を、事業者の自前のルールと『注意喚起』任せにしないこと。応援の形を決める権利は、ファンの側にあるのか、売る側にあるのか。答えは一つでしかありません。決めるのは、愛する側でなければいけません。バラバラな「お客さん」のままでは、設計はいつまでも売る側のもの。当事者として束になれば、応援の形は取り戻せます。
参考
- 推し活総研(CDG・Oshicoco)「第3回 推し活実態アンケート調査」(2026年1月実施、プレスリリース2026年1月30日公開)
- 日本生産性本部「レジャー白書2026」を発行(プレスリリース、2026年10月27日発表)
- ITmedia ビジネスオンライン「4.1兆円『推し活』市場へ動くVisa」(2026年9月19日公開)
- マルクス『資本論』第1巻第1章第1節・第4節(Marxists Internet Archive)

コメント
コメントを投稿